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第54回 都市圏研究部会

日 時: 2015年4月25日(土) 14:00~17:00

会 場:京都市生涯学習総合センター山科(アスニー 山科),ラクト山科C棟2階
会場へのアクセスは、以下をご参照下さい。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/yamashina/yamashinatop.html

テーマ:大都市の商業空間

趣 旨:日本の商業地の性格は非常に多様である.とりわけ大都市においては,多様であるだけでなくその変容も著しい.本報告では,主要な大都市を事例として,商業地の多様な側面と変容過程について議論する.

研究発表:現代における商業集積地の特徴と役割―商業空間の歴史的変遷を踏まえて―
・・・・・・・・・・・・・・・・・牛垣雄矢(東京学芸大学)

都心商業地周辺に誕生する新しい商業地について―80年代の大阪・アメリカ村を中心に―
・・・・・・・・・・・・・・・・・吉本勇(就実大学)

連絡先:稲垣稜(奈良大) E-mail:inagakir#daibutsu.nara-u.ac.jp (#を@に置き換えて下さい)


<報告要旨>

■現代における商業集積地の特徴と役割
―商業空間の歴史的変遷を踏まえて―
牛垣雄矢(東京学芸大学)
 近年におけるチェーン店やショッピングセンター(以下,SCとする)の増加により,日本の商業空間の性格は大きく変化している。本発表では,各学問における盛り場論やSC論等を整理し,日本の商業空間の伝統的な性格とその変化を検討するとともに,現代における同業種型商業集積地の特徴と役割を検討する。
 日本の近世盛り場では,火除地というオープンスペースにおける人々の自由な活動により,見世物・飲食等の屋台ができ,様々なレクリェーションが行われた。そこは老若男女が身分を問わず自由に出入りができ,人々は雑然とした雰囲気を五感で楽しみ,ユーモラス・グロテスク物や変態見世物にも寛容的であった。
 明治期に入ると,違式詿違条例等によって盛り場における自由な振る舞いが否定された。見世物小屋の病理は追放され,盛り場は清潔という記号が支配する秩序への転換が生じ,多様な機能を有していた道路も交通機能に限定されて賑わいを失っていった。大衆メディアが場所を規定し,映画館の登場は劇場における人と人との関わりを喪失させ,用途地域制に基づく土地利用の分化と路面電車の敷設は目的に応じて商業地を使い分ける消費スタイルの変化をもたらした。一方,百貨店や商店街の誕生により「ぶらつき」という消費スタイルが生まれ,女性や子供が重視されるようにもなった。しかし近代化に際して全体的発想に基づくバロック的都市計画を経なかった日本の都市では,空間は不特定多数の人々の思惑によって形成され,土地や建物は依然として小規模であった。商業地の店舗構成は雑多で,人々はその雑踏の雰囲気や呼び込みの音,食べ物の匂いなどを五感で楽しんだ。政策では意図しなかった民衆活動によって賑わいを創出・維持させてきた商業地も多く,日本における伝統的な商業空間が継承されている面もみられた。
 一方,近年は国内外におけるチェーン店の進出により,大都市の商業地を中心に取扱商品・景観・人間関係の均質化が進み,人々の空間的経験も均質化している。また大規模商業施設やSCの増加により,少数の大企業が空間を支配・管理・演出することとなった。SCでは秩序・清潔・安全という記号が重視され,意図しない人々や振る舞いは事前に排除されるなど,自由は制限されている。このように,空間形成に対する小規模な主体の影響力が小さくなり,本能をさらけ出し五感で楽しむ空間を失い,消費文化が一部の専門家によって創出されることは,日本における都市空間の文化が喪失することを意味する。また国や世界スケールで空間的差異がなくなることや,あらゆる決定が現場から離れた本社で行われることは,商業に関する地域性と多様性が失われることを意味する。
 一方,同業種型商業集積地は,多数の小規模な店舗が自然発生的に集積して形成された商業地であり,挑戦的な商品が扱われるために消費者は商品を発見する喜びがあり,比較購買欲求が高い業種の場合は「ぶらつき」を楽しむことができ,商品を介した客と店員との関わりがあり,悪所的性格を有する場合もある。これらの店舗の受け皿となるのは裏通りの雑居ビルである。この空間的性格は,日本における伝統的な商業空間に似ている。世界各地の多様性や空間的差異が重要とされる今日において,同業種型商業集積地は日本の商業空間における数少ない差別化された空間であり,かつ日本の都市空間の文化が反映した空間でもあり,重要な役割を担っている。

■都心商業地に誕生する新しい商業地について
―1980年代の大阪・アメリカ村を中心に―
吉本 勇(就実大学・人文科学部)
 1980年代に東京や大阪などの都心商業地や既存の商業地などの隣接地域や周辺地域に,流行に敏感な若い消費者若者をターゲットとした商業地が誕生していた。これらは都心商業地における地価や賃貸料金の高騰の影響などの理由もあった。当時は感性豊かな若い経営者によるブティックやセレクトショップ,飲食店が点在するに過ぎなかった。(出現する時期や拡がりには地域による差は生じているが)やがてそれらの店舗が点から線,さらに面へと拡大するに至った。本報告ではいくつかの都市の代表例を紹介した。それらは既存の商店街名や通り名,町名から新しいネーミング(カタカナ名が多い)が付けられ,多くのファッション誌やタウン情報誌などで取り上げられるようになるとともに広域から消費者を集めるようになった。(やがて店舗数も縮小あるいは消滅した通りもあるが)広域中心都市や県庁所在地にも出現していった。東京の明治通り,表参道,青山通りに囲まれた裏原宿がとくに有名である。大阪では今回取り上げた心斎橋商店街から西へ御堂筋を越えたアメリカ村が当てはまる。
 アメリカ村のある炭屋町エリアは1970年頃までは,心斎橋にある店舗の倉庫や駐車場,事務所,住居などが混在する地域であった。1969年に三角公園前にカフェ「ループ」が後にアメリカ村の母と呼ばれる日限萬里子氏がオープンしたことから若者の街としての歴史が始まった。店の存在は口コミで拡がり,ファッション好き,音楽好きな若者が集うようになった。70年代前半頃から三角公園周辺にアメリカ帰りの男性が民家のガレージで服や雑貨を売ったことやアメリカ西海岸ブームが起こったことからサーフショップや中古サーフボード,古着屋などが次第に集積していった。その頃からアメリカ村と呼ばれるようになり,78年にはNHKの番組や新聞,雑誌に取り上げられ,若者の街として定着した。83年には「ループ」の常連客であった黒田征太郎氏による街のシンボルとなる鳥をモチーフとしたイラストの壁画が描かれた。80年代から90年代にかけて大手資本のチェーン店の進出,93年には中学校の跡地にファッションビルが誕生するなどアメリカ村は大衆化が進み,来街者層も拡大していった。最近では北欧の人気雑貨店の日本1号店,ハワイの人気パンケーキの店・関西1号店の進出によりその傾向が一層強くなった。もはや若者を中心とした特別な街としてのイメージは薄れた。また従来の中心であった(消費対象や販売商品,店構えはかつてのアメリカ村と異なるが)個性的なセレクトショップや,ブティック,飲食店などは西側の四つ橋筋を越え,かつては家具屋街であった立花通り(現:オレンジストリート)周辺へとその中心が移動していった。一方では心斎橋筋東側に存在し,商店街を挟んだアメリカ村とは対照的な洗練された店構えや商品構成が特徴であり,DCブランドブームとともに登場したヨーロッパ村(通り)は,バブル崩壊,DCランドブームの終焉によって,存在感が消失した。
 街の基盤となる歴史特性や立地環境のほかに,新しい街の知名度向上に貢献した先駆者的な人物や店舗の存在や来街者の特性によって注目され,将来性と人気に目を付けた核となる大型店舗や大手チェーン店の進出などによって街の質の変化や拡散が見られる。関西地方では都心商業地周辺では90年代以降から現在までに,神戸のトア・ウエスト,乙仲通り(栄町)や大阪・キタの茶屋町,ミナミの南堀江,南船場などが注目されるようになった。またこれらのエリア外でもメディアに登場している街も少なくない。街の動きから目が離せない。

■討論(AUは牛垣氏の,AYは吉本氏の回答)
山神達也(和歌山大学):今回の発表における同業種型商業集積地や大規模商業地は東京などの大都市のみを対象とした議論であると捉えてよいのか?
AU:そのようになる。
鈴木英之(ファインアナリシス):伝統的盛り場は現存するのかしないのか。また,伝統的盛り場と秋葉原のような同業種型商業集積地はどちらも「人との出会い」という要素があるなかで,両者の違いはどこにあると捉えているのか。
AU:伝統的盛り場は前近代ないし近代初期のものと捉えており,現存しないと考えている。その中で,同業種型商業集積地には伝統的盛り場の要素がある程度残っているのではないかというのが本発表の趣旨である。また,後半の質問に関し,伝統的な盛り場であれば偶然の出会いがあるものの,秋葉原は個の欲求を満たす空間という側面が強い。ただし,同業種型商業集積地のなかでも秋葉原と原宿では違いがある。
安倉良二(立命館大学):まず牛垣先生に伺いたい。日常生活に関わる近隣型の商業空間をどう捉えているのか。また,ショッピングセンターや地方都市の議論が混在しているように感じるが,この点はどう考えるのか。次に,吉本先生に伺いたい。80年代の商業地でどのようなものが現在まで残っているのか,残っているものに共通するコンセプトのようなものはあるのか。
AU:日常の最寄り的な商店街は対象外とし,買い回り的な商業地を念頭においた。
AY:1980年代のもので現在に残っているのは,商品が山積みになっているバザー的なイメージを出した小売店である。それが当初のアメリカ村のイメージであり,バザーのようなごちゃごちゃした空間がそのまま現在でも残っていると考えられる。
長尾謙吉(大阪市立大学):商業集積の基本タイプが異業種型である以上,異業種型商業集積に関するカテゴリーが必要ではないか。それがあったうえで同業種型があると考えられる。また,大規模商業地が自然発生的とあるが,日本の場合,「自然発生的/計画的」というのが大都市の大規模商業地の特徴ではないかと考えるがいかがか。
AU:異業種型がベーシックではないかというのはご指摘の通りである。本発表では,大規模商業地とSC・SMを異業種型商業集積地と認識している。次に,日本の大規模商業地について,鉄道の敷設が計画的に行われるものであり,その後に自然発生的に商業集積が形成されるとみなすことができ,「/計画的」という言葉が入るべきだということか。
長尾:再開発するにしても,歴史を組み入れながら,大都市ターミナル周辺は大きくなっきた。
AU:そう考えれば,ほぼすべての商業集積が計画性をもって形成されていると考えられる。
長尾:梅田や難波は明らかにそうだけれども,心斎橋などは計画的なものが入ってきても大きくは変わらない。梅田は都市計画的なこともあるし,阪急・阪神等の主体側の計画が大規模に入ってきているのではないか。
AU:ご指摘の通りであり,大規模商業地でもいくつかのパターンを設ける必要があるが,その点は今後の課題にしたい。
澤端智良(ライオン株式会社):10年くらいマーケティングの実務をしてきた立場からみると,ターゲット側の観点から商業集積地を分類できそうである。ターゲットに焦点を当てた商業集積地の分類が学問的な概念として提唱されているのであれば教えて頂きたい。次に,吉本先生にお伺いしたいのが,1990年代から2000年代にかけて,雑誌などのメディアとの相互作用で街が形成されてきたというイメージがあるが,近年では,雑誌メディアが衰退してきている。一方,編集されたもの以外のメディア,例えばSNSなどによって街のイメージや状況に何か変化がみえてきているか。雑誌がつくってきたものとは違う街の動きがあれば教えて頂きたい。
AU:同業種型商業集積地や異業種型商業集積地などは,主に商業分野を中心とする商業集積論でそれらのタイプがどういう特徴をもっているのかということが議論されている。
AY:メディアについて,例えば南堀江では,ファンクラブやファンの人々のネットワーク,フェイスブックなどを通じて人が集まっている。他の店舗でも同様の事例がある。ただし,雑誌メディアは衰退している面もあるが,地域限定型の雑誌や食べ物の本などターゲットを細分化した雑誌が刊行されている。雑誌メディアがなくなったわけではない。
根田克彦(奈良教育大学):まず,先ほどの質問にあったマーケティング的な要素を入れた商業地の類型について。顧客との関係から商業地を捉える場合,地理学的な観点からどのような定義になるのか,またその構築に向けて何か考えていることがあるのか。次にチェーン店について。近年,イギリスでも,都市計画のなかでチェーン店をある程度排除すべきという議論がある。その際,その地の歴史に根差したローカリティを形成して他の街との差別化を図るために,中小独立店を大事にしようという動きがある。そのなかで,秋葉原のような歴史性との関係がそれほど強くない同業種商業集積地におけるチェーン店をどう考えるのか。それから吉本先生に関して。若者向けを目指したストリートがほぼ全滅したとのことだが,それは地方都市の大型店が戦略として進めてきたものが崩壊していると考えられるが,その崩壊の理由はどのようなものか。
AU:1点目について,これまでは主に商学分野での概念を使用してきたが,商学分野では空間的ないし実証的な研究がなされていない。また,地理学での商業集積地の捉え方については現実的な答えは用意できていない。2点目の歴史性のない場所でのチェーン店の存在について,秋葉原には地域の力と呼べるものがあり,チェーン店による均質化が進んでいない。そのような点に同業種型商業集積地の特徴があると捉えている。
AY:地方都市の裏側的な所など壊滅していないところもある。地方都市でも,駅前の再開発ビルや郊外の大型店では,かつての商店街がそのまますっぽり入ったような展開になっている。そのような大型店の戦略としては地元の店舗を誘致しており,街中にあった地元の商店街がテナントとして入っている。また,かつての商店街の役割を大型ショッピングセンターの専門店街が果たしており,映画館も本屋も家電製品も衣服もテナントとして入っていることが理由だと考えられる。
山田 誠(龍谷大学):盛り場や商業集積地の構成要素は物品販売と飲食娯楽とに区別できる。京都の四条周辺の場合,以前は映画館もあったが多くは小売店であった。しかし,最近では小売店の閉店が続き,遊興施設や飲食店に変わってきている。こういった物品販売中心から遊興・飲食へのシフトはよくある事例なのか。またその要因は,どちらがより儲かるのかという単純なものと考えてよいのか。
AU:秋葉原の場合,ラジオ・家電からパソコン,そしてアニメ関係へという小売店中心のなかで,メイド関係の店舗や飲食サービス店が増えてきた。そういう点で,同業種型商業集積地という表現も再考する必要がある。ただ,秋葉原の小売店の場合,家電やパソコンなど技術的な知識を要するような分野から,アニメという技術的な知識が不要な分野に変わったことが大きな変化である。また,技術的な知識がなくても買いまわるという行動が多い点で,同業種型商業集積地ということに問題はないと考えている。しかし,秋葉原では,飲食やサービス店が増えて買いまわるという行為が少なくなっており,同業種商業集積地として過渡期にあるのではないかと考えている。
AY:アメリカ村や南堀江,南船場を見ていると,かつては同業種型の商業集積地に近い性格を持っていたのが,徐々に衣料の小売店などが混在するようになった。時代とともに他の業種が入ってきて,客層も広がりを見せるようになってきている。
長尾:今の議論において,消費者側の行動からみると,異業種型というのは違うものを色々買うのが基本であるのに対し,メイド系にしても電気系にしても,同じ系統のものをいろいろ比べるところに同業種型の特徴がある。その点で,秋葉原も日本橋も同業種型の特徴を強く残していると解釈できる。
中野雅博(立命館大学):学生を連れて,アメリカ村や心斎橋を歩くことがあり,近年の変化を見ていると,これから先に対する不安がある。心斎橋では江戸時代から続くような老舗がどんどん撤退し,全国チェーンの店が出てきている。郊外の駅前などにも多く出店しているチェーン店が心斎橋にある理由は何か。また,このような店で買い物するためにわざわざ心斎橋まで出掛ける人がいるとは思えないことから,市場分割のような形で今の盛り場を考えることができるのではないか。もう一つは,アメリカ村から拡散して南堀江などがある。また,昔のアメリカ村にあった熱気が今は心斎橋にあるように感じる。これからの街はどのような方向に進んでいくのか。
AY:奥渋,渋谷の奥では,かつてはファッション関連やIT関係の店舗があったが,それが少なくなり,普通の住宅地の中に飲食店などが点在するようになっており,そういう場所が注目され始めている。規模は様々だが,駅前から奥側へ広がっていくという流れがあり,消費者が新しいところを開拓する傾向がある。一方,従来の商業集積地ではチェーン店だらけになっているところがある。商店街,アーケードには人が集まり,来訪者を目当てとしてチェーン店が集まり,またそれが新たにチェーン店を引き付けるという傾向がある。
AU:チェーン店について,例えばユニクロは銀座で国内最大級の店舗を構えており,ユニクロという企業ブランドの一部を形成している。そういう意味で,銀座はその時代その時代の勢いのある企業が入ってくる時代の鑑であると言われている。心斎橋でも同様の動きがあるかもしれない。
中野:銀座のユニクロは旗艦店である。一方,各種の安売りチェーン店が心斎橋にあることをどう考えるのか。
AU:低価格化が進んでおり,むき出しの市場原理が都心に押し寄せてきたという議論がある。比較的多くの繁華街で低価格チェーン店が入り込む状況が見られる。
長尾:心斎橋の場合,外国人観光客,特に中国人観光客の流れが圧倒的に多い。そういう商店街ではチェーン店が立地するメリットは大きいという面がある。
稲垣 稜(奈良大学):まず吉本先生の発表と関連し,名古屋の四谷など,1980年代に流行したが1990年代以降に衰退した住宅街の中のファッションタウンがある。現在ではファッションタウンも都心に回帰する傾向があるように感じるが,その点をどう考えるか。それから牛垣先生の議論について,中小小売店が独特の商品を売っているのが同業種型商業集積地である一方で,郊外大型店などでチェーン店の影響を受けた中小小売店は同じようなものを売っている印象が強い。品揃えが少ないのが中小小売店の問題の一つだとすると,その背後にあるメーカーや卸売との関係が大きいと考えられる。中小小売店だと自分たちで商品を調達する能力が弱く,卸売に依存する傾向がある。このような観点から商業集積地をみる研究はあるのか。
AY:四谷について,ファッションタウンといっても,郊外では,駅の近辺の中小小売店や外車のディーラーなどが多い中にぽつぽつとあったという印象であった。駅ビルなどができる過程で,郊外の街的なものは中途半端になってしまった。あと,タウン的なもの,ぽつんと単独店があってその周りに小売店が集まるものがあった。先日,ブルーボトルコーヒーの日本1号店のある清澄白河を訪れたが,住宅街に一軒だけで立地し,そこに行列ができていた。周囲に小売店は全くないところでも行列ができて人が集まっている。このように,街を形成するに至らずとも将来的には成り立つ店舗がある。
AU:例えば,裏原宿を対象とした研究では,ファッションとそれをつくるメーカーとの関係が議論されている。また,秋葉原の場合,個人レベルの作者の存在やそういう人々によるイベントなどが街に大きく影響していることがオタク論で議論されている。こうした点も踏まえつつ,中小の小売店の背後にあるメーカーや卸売の影響についての議論は今後の課題としたい。

(参加者21名,司会:稲垣 稜,記録:山神達也)

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2015.02.02  Comment:0
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