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 日時: 2006年12月9日(土) 14時~18時
 会場: 放送大学鳥取学習センター
   〒680-0845 鳥取市富安2-138-4 (鳥取市役所駅南庁舎内)

テーマ: 日米における持続可能な都市整備の取り組み

アメリカ合衆国におけるリバブルシティの展開
伊藤 悟(金沢大学)
デンバー郊外における中心地再整備
樋口忠成(大阪産業大学)
青森市におけるコンパクトシティ政策の検討
千葉昭彦(東北学院大学)
民間デベロッパーによる持続可能なコミュニティ開発の現状
-佐倉市ユーカリが丘の事例-
山下博樹(鳥取大学)


Snow Denver and the Rockies 



アメリカ合衆国におけるリバブルシティの展開
伊藤 悟(金沢大学

 本報告の背景、目的・構成 まちづくりや都市計画をキーワードとして、インターネット上の書店で検索を行うと、多数の書籍がヒットする。それらのタイトルから今日、理想とされる都市像を探るとすれば、幾つものカタカナ言葉で語られるような2つの姿が、まず見いだされる。その1つは「コンパクトシティ」であり、米国ではニューアーバニズム、英国ではアーバンビレッジと呼ばれる。いま1つは「サスティナブルシティ」であり、エコシティとも呼ばれていた時代も従前あったし、今日の米国ではスマートグロースという用語で言及される。わが国では「持続的都市」という訳語もしばしば使われる。
 しかし、2000年代にはいって、もう1つの理想像が急浮上してきた。それは「リバブルシティ」である。リバブルシティの語をそのままタイトルに掲げ、2000年5月に米国で刊行されたもの(Partners for Livable Communities, The Livable City: Revitalizing Urban Communities, McGraw-Hill, 208p., 2000)など、リバブルをタイトルやサブタイトルに組み入れる書物が増えてきた。巷間でも、実在都市のリバブルシティとしての格付けが、後述のごとく盛んになるなど、この言葉は頻繁に登場するようになった。
 以上のように今日では、コンパクト・サスティナブル・リバブルの3シティ概念が、理想の都市を語る上で重要なものとなった。しかし、それらの区別の曖昧さから、時々の状況に応じて都合良く使いわけられる場面も見受けられる。そこで本報告では、米国都市を中心にリバブルシティとはなにかを検討することとした。具体的にはリバブルシティ概念の明確化を探り、コンパクトシティのような類似用語との概念比較も試みる。さらにリバブルシティと位置づけられる米国都市の実態について、現地調査の結果から紹介したい。
 リバブルという言葉の使われ方 リバブルシティに密接に関連する用語として、リバブルコミュニティ、リバブルリージョン、リバビリティなどがある。日本語ではリバブルlivableは「住みやすい」、リバビリティ livabilityは「住みやすさ」などと訳されるものであるが、これらの語が通常どのように使われているかについて、インターネット上を検索エンジンにより探った。まず、日本語でgoogleに入力・検索すると、わが国では「リバブル」を冠した企業名が出てくる程度であった。しかし、英単語のlivableやlivabilityを入力すると、無数のウェブページが検索され、そのコンテンツから、とりわけ米国都市を中心に、リバビリティを追求したり、標榜している自治体の多いことがわかる。また、リバビリティからみた都市の格付けも盛んである。
 ちなみに、世界全体にわたる都市の格付けに関しては、しばしばマスコミで紹介される次の2つが有名である。1つは、英国経済雑誌『エコノミスト』系の調査機関「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット」(EIU)によるもので、2005年の場合、第1位はカナダのバンクーバー、2位メルボルン(オーストラリア)、3位ジュネーブ(スイス)であった。いま1つは、マーサー人材コンサルト会社(Mercer Human Resource Consulting Ltd.)による評定で、2006年について上位3都市をあげると、チューリッヒ(スイス)、ジュネーブ(スイス)、バンクーバー(カナダ)の順であった。米国については、「リバブルコミュニティのためのパートナーズ」(Partners for Livable Communities;以下「パートナーズ」と略称)というNPOによる取り組みが有名である。このNPOは、前述したリバブルシティをタイトルに冠した書物を世に送り出した組織であるが、2004年の場合、大都市(人口数30万以上)10カ所、中都市(10~30万)11カ所、小都市(10万未満)5カ所、その他5カ所をリバブルコミュニティに選定している。
 これらの格付けに共通するのは、都市のQoLが評価対象となっていることである。すなわち、QoLの高い都市ほどリバブルシティなのであり、都市のQoLとリバビリティはまさに同義として解釈される。したがって、どのような都市をリバブルシティとしてとらえるかは、QoLをどのような観点から評価するかという命題に帰着する。
 都市QoL=リバビリティの構成要素 QoLはQuality of LifeやQuality of Livingの頭文字をとったもので、「生活の質」や「人生の質」と邦訳される。狭義のQoLは生物・医学的なもので、人間の寿命や患者の日常生活の質などが念頭におかれる。広義になると、社会・経済的な観点が付け加わり、市民生活・活動のレベルということになる。そのよく知られている例として、国連開発計画(UNDP)が1993年から国別評価に利用している人間開発指標 (HDI; Human Development Index)がある。パキスタンの経済学者マブーブル・ハクが1990年に考案し、平均寿命、教育水準、GDPの組み合わせから算定される。都市のQoLも広義の部類に入り、社会・経済的な視点を人間開発指標とは比べものにならないほど幅広く取り入れている。先に述べたEIUの世界都市に関する格付けでは、2005の場合、5分野 40項目が評価対象となり、またマーサーは10分野 39項目 (2006)であった。
 米国パートナーズによる2004年の格付けでは、10分野 にわたる30数項目が適用された。10分野とは「a.ニューエコノミー」「b.中心地(city center)」「c.住宅」「d.地域性(regionalism)」「e.観光(tourism)」「f.リーダーシップ(leadership)」「g.近隣(neighborhoods)」「h.環境(environment)」「i.人間開発(human development)」「j.財政(Finance)」である。このうち分野名だけからは内容が分かり難いものに絞って説明すると、「a.ニューエコノミー」に関しては、雇用を新たに生み出すような都市のビジョンや戦略、投資などが問われる。「d.地域性」とは世界や他地域に対して当該都市が誇りうる特徴などとなる。「f.リーダーシップ」は、まちづくりなどに関わる組織や機関の存在・活動が問題となる。「i.人間開発」は教育、治安、福祉にわたるチェック項目から構成される。
 パートナーズは、米国において初めてリバブルシティの選定を行った組織とされ、上述の評価項目は、これまで30年以上にわたる進化の結果である。スタート時の1970年代では、コミュニティの物理的な環境がもっぱら関心の対象であり、都市施設の計画・整備状況や、文化遺産・自然資源の保全に焦点がおかれた。1980年代になると、コミュニティのアメニティも視野におかれた。その後、社会・経済的な面も重視されるようになり、1990年代にはリーダーシップが、2000年代になると、創造的な経済活動や地域ブランドも評価対象に加わった。
 コンパクトシティとの概念比較 ここでは、リバブルシティがコンパクトシティと概念的にどのように違うかを考えてみたい。コンパクトシティ(compact city)の概念は、その発想の原点を1970年代のヨーロッパにさかのぼることができ、また既に述べたように、アメリカにおけるニューアーバニズム、イギリスにおけるアーバンビレッジの考え方に相当する。郊外化・スプロール化を抑制し、歩いていける範囲の生活圏スケールをもつ市街地により、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指すものである。
 海道清信は、コンパクトシティの概念を整理した結果として、9つの原則を具体的に指摘している(海道清信『コンパクトシティ―持続可能な社会の都市像を求めて』学芸出版社、287p.、2001)。すなわち、「1.高い居住と就業などの密度」「2.複合的な土地利用の生活圏」「3.自動車だけに依存しない交通」「4.多様な居住者と多様な空間」「5.独自な地域空間」「6.明確な境界」「7.社会的な公平さ」「8.日常生活上の自足性」「9.地域運営の自律性」である。また、このうち最初の3つは「空間の形態」、次の3つは「空間の特性」、最後の3つは「機能」に関わると分類している。
 この海道の9原則は、リバブルシティとの概念比較を行う際に有効な視点となる。すなわち、米国パートナーズの10分野と個々に対応させることによって、両者の類似点や相違点を明確化できるからである。例えば「4.多様な居住者と多様な空間」はパートナーズの「c.住宅」とほぼ同様の趣旨にある。また「2.複合的な土地利用の生活圏」は「h.環境」に、「9.地域運営の自律性」は「f.リーダーシップ」に対応しよう。このほか、「5.独自な地域空間」は「d.地域性」や「e.観光」と、「7.社会的な公平さ」や「8.日常生活上の自足性」は、「g.近隣」や「i.人間開発」と関連づけられそうである。しかし、米国パートナーズの「a.ニューエコノミー」や「j.財政」は海道の9原則にはなく、「b.中心地」も明確に関連づけられる原則を見いだすことが難しい。
 このような対応関係の有無から、コンパクトシティとリバブルシティの概念上の相違点を次のように指摘できる。すなわち、コンパクトシティは市街地の範囲など都市の物的環境面に、リバブルシティは経済面に関心を寄せるものの、他方はそのような関心が相対的に薄いといえる。同じようなことは、交通や中心地に対する関心の強弱でもいえ、コンパクトシティでは交通に、リバブルシティでは中心地への関心が強い。ただし、住宅や社会面への明確な関心は、両者の共通項といえる。
 リバブルシティの都市構造的な実態 米国パートナーズが2004年、大都市(人口数30万以上)区分においてリバブルシティとして選定したのは、シャーロット(ノースカロライナ州)、シンシナティ(オハイオ州ほか)、デンバー(コロラド州)、フォートワース(テキサス州)、ジャクソンビル(フロリダ州)、カンザスシティ(ミズーリ州)、ルイビル(ケンタッキー州)、サンディエゴ(カリフォルニア州)、サンノゼ(カリフォルニア州)、タルサ(オクラホマ州)の10カ所である。報告者は、ここ数年の間、それらを含めた米国諸都市の実態、特に都市構造について現地調査を行う機会を度々得た。
 幸運にも、上記リバブルシティのうち、ジャクソンビルを除く9カ所については、視察程度のものを含めて、現地調査を行うことができた。また、フォートワースについては2度訪問することができ、本年9月には中心部(ダウンタウン)と郊外中心地における土地利用実態の詳細調査を実施した。このフォートワースを中心事例にした予察から、大都市レベルのリバブルシティ全体にわたる都市構造的な特徴として、①中心部における明確な結節点(ノード)の存在、②軌道やバス、駐車場などの交通対策の有効性、③中心部隣接地での集客施設の立地、④独特な性格をもつ周辺中心地の存在などが注目される。ただし、これらは、あくまでも現段階での仮説であり、今後、現地調査の蓄積によって実証を深めていくべきものであるが、とにかく後に続く3報告と討議のための話題提供としたい。
Fort Worth DowntownFort Worth Stoc Yards


デンバー郊外における中心地再整備
樋口忠成(大阪産業大学

 モータリゼーションをいち早く経験したアメリカ合衆国は同時に都市の郊外化の歴史も長い。特に1950年代以降の高速道路の建設に伴う大規模な郊外化は大都市圏の成長とともに広大な郊外空間を生み出し、住宅ばかりでなく郊外での大規模なスーパーリージョナル型ショッピングセンター(モール)の建設に象徴的に見られるように小売業も大きく郊外化した。またオフィスの郊外化もすすみ、エッジシティという郊外核の形成が指摘され、さらにはエッジレスシティという分散的な郊外化が進んでいるという指摘もある。スプロールと呼ばれる郊外への外延的拡大は現在も多くの都市で進行している。
 郊外化の長い歴史の中で、それを象徴しまた実際に商業核として多くの消費者を吸引したショッピングセモールが次第に老朽化して改廃を余儀なくされるものが出現している。老朽化したモールの再開発が地域問題として住民や自治体に突きつけられ、場所によりその対応は多様ではあるが、そこを郊外自治体の中心地として整備する試みがいくつかの事例で見られる。本報告ではデンバー大都市圏にあるいくつかのショッピングセンターの再開発事例を紹介するとともに、郊外地域の地域変動の傾向と課題について考えたい。
 デンバー大都市圏は統計的な範囲としてはデンバー=オーロラ大都市圏Denver-Aurora Metropolitan Statistical Areaで人口240万(2005年)の全米22位の大都市圏である。広義には北に隣接するボールダーBoulderおよびグリーリーGreeleyの大都市圏を含んだDenver-Aurora-Boulder Combined Statistical Areaを形成して、その場合人口規模は291万となる。なお中心市のデンバー市の人口は57万である。
 アメリカの北東部や中西部の大都市圏の中心市は1950年に人口のピークを経験した都市が多いのに対してデンバーは1970年まで人口が増加した。70年代、80年代は人口が減少したが90年代以降は再び人口が増加し、現在も成長を続けている。デンバーの郊外は1950年以降に本格的な成長を始める。デンバーの人口が一時的なピークに達した1970年以降は郊外人口が中心市人口を上回っている。デンバー大都市圏にはもともと大きな郊外核はなく、1950年でデンバー市をのぞく最大の自治体はデンバー南郊にあるイングルウッドで人口1.7万に過ぎない。したがってデンバーの都市化および郊外化は元々あった都市核を都市圏内に取り込んでいったのではなく、単に外延的に拡大したと考えて良い。現在の人口3千人以上の24の郊外自治体のうち半数近くの11は1950年以降に成立している。
 さてこうした郊外形成とともに大規模なショッピングモールの建設が1960年代後半以降に始まった。60年代のモールはデンバーのダウンタウンから10マイル以内に立地しているが、その後建設された大規模モールはより遠方に立地し、1990年代後半以降に開発された二つのモールはダウンタウンから15マイル(24km)も離れている。しかし新しいモールが建設されるたびに既存のモールは客を奪われて、客足が徐々に離れていった。テナントが撤退した後の店舗が埋まらず放置されたりするが、特に核店舗が撤退すると危機的な状況になる。このように衰退が目に見える状況になったモールをデッドモールdead mallというが、1960年代、70年代に建設されたモールは90年代にデッドモール化が顕著になってきた。実際いくつかのモールがデッドモールとなって最後には閉鎖されている。デッドモール化の要因として、①競合する大規模モールの新規立地のほかに、②地域人口や社会経済的状況の変化、③核店舗を形成する百貨店の倒産や買収による撤退、④ディスカウントストアの進出などが考えられる。ショッピングセンターは地域の商業核として機能しただけでなく郊外自治体の税源として重要だったので、そうしたモールの動向は自治体としても無関心ではいられない。ここではデッドモール再開発の5つの事例について報告する。
 (1) Northglenn Mallはデンバー北の郊外ノースグレン市に1968年に4つの百貨店を核店舗として開店した。80年代後半から売上げが減少して核店舗が撤退しはじめて徐々にデッドモール化していった。1998年には解体され、カテゴリーキラーの大型店の誘致によってデンバー地域初の本格的パワーセンターMarketplace at Northglennとして再開発された。この再開発に行政の関与は少ない。
 (2) Cinderella City Mallはデンバー南の郊外イングルウッド市に1968年にオープンしたモールで、当時はミシシッピ川以西で最大のモールだった。規模の大きさや高所得地域を商圏としていたこともあって繁栄したが、90年代になると競合モールの出現もあってデッドモール化した。ここの再開発は土地の取得や計画に市が積極的に関与した。イングルウッド市は行政機能と商業機能と住宅機能を併せ持つ郊外都市の中心地City Center Englewoodとして整備した。この開発は特に公共交通志向型開発TOD(Transit-Oriented Development)として注目され、延長開業するライトレールの駅を中心として行政機能を含むコンパクトな混合利用の形態である。
 (3) Villa Italia Mallはデンバーの西に隣接するレークウッド市に位置するモールで1966年にオープンした。デンバーのダウンタウンから西方6マイルと比較的近くに立地するこのモールも1990年代からデッドモール化して2002年に閉鎖された。レークウッド市役所に隣接するこの地域は、行政の大幅な関与のもとに再開発され、かつての広大なモール敷地に街路を設けて22の街区に区分した。1969年に市になったレークウッドは中心市街地を持たなかったが、このモール跡地の再開発地をベルマーBelmarと名付けてレークウッドのダウンタウンと位置づけた。開発は小売業、飲食店、オフィス、住宅の混合利用開発として行われ、住宅をも含んだ街路型で混合利用mixed-useでコンパクトな開発を志向した。ベルマー再開発は2005年の一部小売店の開店からはじまり、2007年に完成予定である。
 (4) Crossroads Mallはデンバーから北西25マイルに位置するボールダー市の唯一のスーパーリージョナルモールだったが、2003年に核店舗の一つのみを残して閉鎖された。ボールダーはコロラド大学の所在地で独自のダウンタウンを持ち、ダウンタウンのPearl Streetは歩行者専用のダウンタウンモールとして整備されている。モール跡は第二の商業地区として位置づけられ、Twenty Ninth Streetという街路型のショッピング地区に整備することとなり、再開発地にはオフィスも含まれ、2006年秋にオープンした。
 (5) Southglenn Mallは高所得地域に1974年に開店したモールで、21世紀になってからデッドモール化した。2006年には核店舗のうち二つを残して解体されたが、現在Streets at SouthGlennの名称で再開発が進んでいる。引き続き存続する二つの百貨店を核店舗として位置づけながら、全体としてはライフスタイルセンター方式の野外の街路型のまちづくりを予定している。2008年夏の開業予定である。
 以上の事例のように手法や内容はさまざまだが、デッドモールの再開発はもともと中心市街地のなかった郊外自治体の行政・商業中心として、郊外自治体の都市整備の中心に位置づけられる場合があり、イングルウッドとレークウッドはその典型的なケースである。イングルウッドでは郊外中心地の整備手法にライトレール延長開業に伴う駅前整備と結びつけている。デンバーではライトレールは1996年にはじめて導入され、2006年11月にも新路線が延長開業して現在の営業路線延長は35マイル(56km)になっている。十数年前まで軌道系公共交通を持たなかったデンバー大都市圏での公共交通の整備は2004年の住民投票で3本の通勤鉄道と6路線のライトレールのネットワークを整備することが支持され、2013年から2016年まで新たに119マイル(191km)の鉄道路線が開通する。通勤鉄道はデンバーのユニオン駅をハブにデンバー国際空港やボールダーとを結ぶ3路線80マイル(128km)、ライトレールは39マイル(63km)の路線を新設して既存路線とあわせて合計74マイル(119km)のネットワークを形成する予定である。ダウンタウンから放射状に四方八方に軌道系の公共交通が完成するわけで、同レベルのアメリカ都市としては格段に軌道系交通が充実した都市に変貌する。
 大都市圏の都市構造がこのように大きく変化する中で、軌道系交通網の整備に見られるコンパクトシティあるいはスマートグロースの考え方が大都市圏全体としてもまた個々の郊外自治体の中心地整備にしても大きく影響していると考えられる。しかし一方では市の郊外スプロールがさらに進展する傾向も見られ、近年ではパワーセンター形態のショッピングセンターの建設が続いている。現在のアメリカ大都市圏には二つの相反する変化の動向が共存しているようである。
Denver DowntownDenver Englewood Center


青森市におけるコンパクトシティ政策の検討
千葉昭彦(東北学院大学)

 青森市のコンパクトシティ計画は、佐々木現市長が選挙に際して公約に掲げた雪問題(=除排雪経費問題)の解決に由来する。除排雪費はその年度の降雪量によって左右されるが、道路の除排雪延長は年を追うごとに増加し、1991年には997km、1996年には1,073km、2001年1,129km、2004年1,169kmと推移している。豪雪地帯である青森市では、これに加えて各戸・各世帯での除雪作業も大きな負担となっている。この他にも、青森市では郊外住宅地の増加とそれに伴う公共施設整備(小中学校や公共交通機関、上下水道整備など)の負担、公共施設の郊外移転(1970年卸売市場、1981年県立中央病院、1993年県立図書館など)、郊外大型店舗の増加(1977年サンロード青森・ジャスコ、1990年みなみ百貨店、2000年イトーヨーカドー、西バイパスパワーセンターなど)と中心商店街の衰退・停滞(2003年老舗デパート松木屋閉店など)なども解決するべき地域問題として多くの機会に取り上げられていた。
 市長の公約は、1995年の青森市長期総合計画に反映され、さらに1999年の青森市都市計画マスタープランにおいて「コンパクトシティの形成」として具体化されるに至った。そこでは、青森市内を旧市街地に相当する範囲でまちなか再生に取り組むインナーエリア、今後の社会経済動向に応じて面的整備を計画的に進めるミッドエリア、無秩序な開発抑制をはかる国道7号環状パイパスの外側にあたるアウターの3エリアに区分している。とは言え、市は開発行為などに対する法的規制としてはあまり多くの権限を有してはいない。そこで、土地利用に関してより多くの権限を持つ県と協議を重ね、県による2004年の「青森市都市計画区域の整備・開発および保全の方針」の制定を通じて、マスタープランの施策を担保するに至っている。
 このコンパクトシティ計画の内容は、郊外開発抑制と市街地整備事業とに、大きく分けられる。前者は開発行為抑制策と既存住宅地更新事業が柱になっているし、後者に関してはアウガとパサージュ広場に代表されるまちなかにぎわい創出事業とまちなか居住推進事業が柱となっている。
 青森市ではアウターエリアでの開発行為や大型店立地を抑制している。その根拠としては「青森市都市計画区域の整備・開発および保全の方針」における保留人口フレームワークゼロがあげられる。つまり、多くの都市計画で前提となっている人口増加を見込んでいないために、新たな宅地造成や区画整理事業、大型ロードサイドショップの立地などは必要ない。そのため、その開発行為の前提となる道路や上下水道などのインフラ整備は必然性がないので、市は財政支出を行わないと言うことである。すなわち、法的強制力をもって抑制すると言うのではなく、市は協力困難として政治的対応をしていると言える。これに加えて、近年の青森市での住宅地需要の低迷が宅地の開発圧力を弱めていると言われている。また、環状道路はその整備に際して地盤安定を意図して平均7mの土盛りをしていることから、大型店等の進出を実質的に大きく制約している。
 環状道路の外側に分布する幸畑団地(1964年造成開始・56.7ha)や戸山団地(1974年造成開始・147.0ha)などをはじめとした既存の郊外住宅団地に関して、青森市はその更新事業を実施あるいは計画している。まず、そのひとつとしては郊外住宅団地内の老朽化した公営住宅団地のインナーエリアでの建替事業があげられる。すでにいくつかの郊外に立地する市営住宅等を廃止し、まちなかで新たに4ヶ所、268戸の市営住宅を新建しているし、民間マンションを借り上げて40戸の市営住宅としている。ただ、郊外住宅地内の市営住宅跡地の利用が未定になっていて、郊外住宅地更新にとっては課題となっている。また、もうひとつの更新事業として、市街地に居住する子育て世代と郊外に居住する高齢者世帯の交替、すなわち郊外(中古)住宅の流動化促進を計画している。この点、市街地居住者に戸建住宅に対する需要がみられることを、市は調査を通じて確認しているので、流通市場のしくみづくりが今後のテーマとなっている。
 にぎわい創出を意図し、ウォーカブルタウンのシンボルとして多くのところで紹介されているアウガは2001年1月にオープンしている。その地下1階には魚菜市場として生鮮食品中心とした87店舗が入居しているし、1~4階は主として若者を対象としたテナント入居を中心とした商業施設となっている。5階以上は公共的な施設が入居していて、5・6階は男女参画プラザとして0~3歳までの子供とその親が利用できるつどいの広場(通称さんぽぽ)と託児所(通称カダール)、6~9階は市立図書館となっている。図書館の休館日はテナントに合わせていて、夜も9時まで開館となっている。立地と開館時間帯から、かつての郊外図書館の利用者が1ヵ月で17,704人(1999年)であったが、現在では1ヵ月64,804人(2005年)と約4倍になっている。このように、図書館だけでも市街地のにぎわい創出に寄与しているが、ただ、この事業は青森駅前第二地区再開発事業として長い歴史を有している。1977年に事業が着手されたが、計画の策定・決定に13年間の困難を経て、組合が設立されたが、その後バブル経済の崩壊に伴って、出店予定であったデパートの進出が取りやめとなった。その後、商工会議所等から市側に再開発ビル内への公的施設の入居要請があり、今日のアウガの構成に至っている。
 にぎわい創出のもうひとつのシンボルとして、パサージュ広場をあげることができる。これは市民の(イベント)広場の整備と商業者育成を行うことを目的とした施設で、市が運営を商業者を中心とした民間(㈲PMO;パサージュ・マネージメント・オフィス)に委託し、2000年秋オープンしている。この事業も元々はコンパクトシティ構想とは別に、1998年の中心市街地活性化計画の商業ベンチャー支援事業としてスタートしている。この事業が自治会館跡地を2000年2月に取得し、その後7月に運営主体となるPMOを設立、9月にパサージュ広場としてオープンしている。広場内の店舗に若手起業希望者を募集し、中心市街地を中心とした商店主やまちづくり関係者による出資・指導・「卒業後」の相談などを行いながら新たな商業者育成を行っている。2005年までに全部で20店舗が入居し、14事業者が終了、その後中心市街地に6店舗、それ以外の地域に2店舗の開業がみられた。また、終了はしたものの開業に至らなかった事業者は6となっている。開業状況の内訳をもう少詳細にみるならば、1期3店舗(中心市街地3)、2期3店舗(中心市街地1・その他2)、3期0店舗、4期1店舗(中心市街地1)、5期1店舗(中心市街地1)となっている。パサージュ広場での入居希望者は近年多少減少傾向にあるが、現在でもすべて入居している。ただ、上記の開業状況からも明らかなように、近年開業の割合は低下しつつある。
 この他にもまちなかにぎわい創出への取り組みとしては、歌声喫茶や「大地の恵」(産直事業)などのイベントやレンタサイクルなどがある。また、地元の女子学生が集まり、観光客の案内や高齢者などのまちなかで行動支援を行うまちなかサポーターズ「しかへら~s」もみられる。この「しかへら~s」は現在パサージュ広場内店舗に入居している。
 まちなか居住推進事業の代表的な事業としては、JR青森駅前に立地するシニア対応型マンション「ミッドライフタワー」をあげることができる。この建設もアウガと同様の経緯をたどっている。この事業も1977年から取り組まれていて、青森駅前第一地区再開発事業として、当初はJR青森駅前という好立地を活かしたホテル施設になる予定だった。バブル崩壊に伴って入居交渉をしていたホテルが事業から手を引き、その後8年間、キーテナント不在の状態が続いた。その後のまちなかマンションブームから、福祉施設・商業施設とあわあせたマンションの建設計画案が持ち上がり、合意形成、計画変更の認可を経て、2006年に完成した。1階は商業施設、2階は医療施設、3・4階ケアハウス(福祉施設)、そして5~17階が集合住宅(107戸)となっている。この他のまちなか居住の取り組みとしては、前掲の中心市街地公営住宅の整備がみられるし、民間マンションの建設も加速しつつある。完成年次でみると、インナーエリアでは2001年23戸、2002年146戸、2003年97戸、2004年336戸、2005年133戸(ミッドライフタワーを含む)、2006年110戸となっていて、6年間で850戸の供給となっている。また、インナーエリアで高齢者だけが増加する状況を招くことを回避するために、学生アパートへの投資促進にも取り組んでいる。
 今後、青森市は新幹線開業に伴う新青森駅開業とその周辺整備やJR東北線の「青い森鉄道」への移管、新しい中心市街地活性化計画への対応など、コンパクトシィ計画にかかわる多くの事業が予定されている。そういった意味で、この計画は現在、事業半ばとしてみる必要があるだろう。そういった前提に立ちながらも、青森市コンパクトシティ事業をこの段階で評価するならば、以下のような三つの課題がみられる。
 第一に、市街地整備事業を中心に、多くの事業がこのコンパクトシティ計画以前から取り組まれていたものであって、この計画の全体像がみえていないということである。コンパクトシティ計画としては「できるとことから着手する」としてはいるが、全体像が明示されにくいので、今後の事業の位置づけが不明瞭であるように思われる。とは言え、ここで言う全体像とは都市計画上の完成図を意味しているのではない。青森市の場合に限らないが、多くの都市計画は、その計画の完成に20年~30年くらい要することが多く、その事業が終了した時点で、それが地域に求められる姿であると言う保証はない。したがって、ここで必要なことは将来の望ましいと思われる地域の姿を描き出すことではなく、今後の都市の変化のルールを示すことであろう。
 第二の課題は、アウターエリアの既成住宅地の扱いである。現状維持(現状更新)であるならば、現在の課題の解決は難しくなるように思われる。それは、コンパクトシティ計画の契機となった除排雪費用軽減が困難なことに見ることができる。ただ、青森市の場合、雪問題がクローズアップされるが、他都市においても郊外住宅地を維持するための諸費用は同様の問題としてとらえることができる。すなわち、公共交通、上下水道、ごみ収集、小中学校等々の維持・運営費がそれに相当する。特に人口減少基調の中では上述の諸施設のみならず、商業集積や医療施設の維持なども困難となり、郊外地域社会での生活維持には(市の、そして最終的には住民の)より多くの負担が必要となる。つまり、今後、現在のような郊外住宅地の存続それ自体が問われることになるであろう。
 そして最後に、第一の課題と第二の課題と密接に関連することであるが、人口30万の青森市において商業・公共施設が集積するインナーエリアをひとつだけ想定することが、果たしてコンパクトシティであるのかということである。とりわけ商業集積に注目するならば、かつて中心市街地に多くの集積が見られたのが、居住地域が郊外化するのに伴って、(特に最寄品販売を中心に)消費者を追って郊外へと立地展開した。これによって、郊外居住者は買物の利便性を享受することができた。コンパクトシティ計画として、一方で既存の郊外居住を更新し、他方で商業集積・公共施設・就業地を限られた空間に集中するならば、郊外での生活にさまざまな支障が生じないだろうか。これは、青森市以外でも今後の都市の姿を考えるに当たって重要になる問題であるように思われる。したがって、コンパクトとは、何をコンパクトにすることなのか、検討する必要があるだろう。
 いずれにしても、以上のような諸課題は今後コンパクトシティを推進する青森市にとっては、さらなる検討を求めることになるだろう。


民間デベロッパーによる持続可能なコミュニティ開発の現状
-佐倉市ユーカリが丘の事例-
山下博樹(鳥取大学)

 報告者は、これまで「持続可能な住みよい都市」としてのリバブルシティの概念に着目し、そうした都市として評価の高いバンクーバーやメルボルンの都市圏整備政策や空間構造の特性について、その一端を紹介してきた。
 他方、わが国の都市は一部の大都市を除く多くの地方都市は、モータリゼーションや人口増加などに起因した郊外化などの社会環境の変化と、それに対応しきれない都市政策・制度によって、これまで長い年月を掛けて築き上げてきた都市構造の崩壊を迎えつつある。それでも金沢市や高松市などの先見性のあるごく一部の地方都市のように、全国的な法改正に先立って独自の郊外開発規制制度などを導入し素早く対応を行ったところもあるが、きわめて希なケースと言えよう。こうした状況の中、報告者は「わが国にはリバブルシティと呼ぶに相応しい都市はないのか?」という疑問を強めていた。
 本報告で取り上げる千葉県佐倉市ユーカリが丘は、国や自治体の政策によってではなく、地区の開発を行った民間デベロッパーの先見性に富んださまざまな取り組みと、それに呼応した住民・NPOとの協働によって、国の関係省庁や海外からも視察に訪れる、持続可能なコミュニティ開発を行っている。本報告では、当該地区で実践されている多様な取り組みの概要と、それによる効果と課題について論じてみたい。
 ユーカリが丘は、東京都心部からは約38㎞、都心と成田空港を結ぶ京成電鉄の沿線に位置し、南北に長い佐倉市の市域の中では北端部に該当する。この地区の開発を進める「山万(株)」は元来大阪の繊維会社であったが、1960年代中頃より宅地開発事業に進出した。山万によるユーカリが丘開発は1971年に着手されるが、当初より山万は急速な大規模開発は行わず、成長管理を行いながら計画的に戸建て住宅とマンションの分譲を始めた。こうした住宅開発は、近年の世帯構成の多様化やペット対策、看護士常駐化など、多様なニーズに対応している。また山万は、同時に開発地区の公共交通アクセスを高めるために、京成電鉄に駅開設の誘致を行うと共に、自ら新都市交通システムによる「山万ユーカリが丘線」を事業化し、鉄道に繋ぐ開発地区内の公共交通として整備した。基本的に住宅の分譲は、ユーカリが丘線の各駅から徒歩10分圏を想定し、マンションは各駅の近隣に配置している。また、最も利便性の高い京成電鉄ユーカリが丘駅周辺の地区センターには、店舗面積計2.8万㎡の大型店群や、医療施設などを誘致した。また、ここには保育施設や介護福祉施設などについても地区居住者のニーズに対応して事業化・誘致をした。現在は、多様な高齢者・障害者のニーズに対応した介護福祉の充実を目的に、に「福祉の街」づくりを進めている。
 他方、開発から20~30年以上が経過し、その間に子供の独立や高齢化などにより、買い物や受診などのより利便性の高い駅周辺のマンションなどへの住み替えを希望する居住者が増えている。こうした近年のニーズに対して、山万はマンション分譲だけでなく従前の住宅の買い取りと、その住宅のリフォーム、リフォーム後の中古住宅の若年世帯への再販売を一貫して行い、居住者のライフステージのニーズにあった住宅供給を行いながら、オールドタウン化の防止にもなっている。もちろん、現在でも一定の新築住宅も分譲され、またこれまで行われていなかった土地のみの分譲も近年開始した。
 こうした山万の取り組みは、地区の資産価値を高めることを目的に、住民の要望を汲み上げながら多様な事業展開を行ってきたことに他ならない。しかし、こうした取り組みは単に山万が行政の代行をしているということではなく、住民や住民からなるNPOとの協働によって、さらに持続可能なコミュニティへと発展している。山万と地元NPO法人「クライネスサービス」は、独自の防犯・防災パトロールや街の環境美化の取り組みなどを行っている。山万や住民らによる様々な取り組みは、当初は山万のまちづくりコンセプトや理念が先行して行われ始めたのであろうが、近年では住民の自治会などに山万社員が参加して、日常生活の問題点や要望などを協議しながら、居住環境の向上に結びつけている。このことは、山万による単なる事業多角化ではなく、住民主体の取り組みとして評価できる。このような取り組みの成果として、ユーカリが丘の住宅・土地は現在ではその周辺地区よりも1~2割高いといわれているが、その購入の希望は依然多いという。
 以上のように、1民間デベロッパーである山万の長期的な地区開発戦略と、その住民との協働によって持続性の高いコミュニティ開発が実践されている。しかし、他方でいくつかの課題も残されている。つまり、地区内での生活環境の充実は目覚ましいものがあるが、他方で地区内には山万の開発以前から旧集落が立地していた。あるいは当該地区周辺にも広く住宅地が展開している。そうした住民との協調も、地域全体の発展には不可欠となるだろう。また、周辺地域との公共交通アクセスが、京成電鉄による東京-成田間に限られ、身近な高次財の供給地である千葉市中心部などへの交通利便性は高くない。今後は公共交通ネットワークの充実が望まれよう。また、東京都心から約38㎞に位置する当該地区は、東京大都市圏東郊のほぼ縁辺部に該当する。人口減少期を迎えるわが国において、今後一層の人口の都心回帰や近郊地域での土地需要の減少などが予測される中、都市圏の縁辺に位置する当該地区がいつまでも多くの居住希望者を集めうる魅力的な住宅地であり続けるには、住民やNPOと一体となったまちづくりが今後も重要となるのであろう。
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個別発表に続く事実確認を主とした質疑応答
伊藤報告(Q:質疑、A:応答)
Q:リバブルシティの実態として、中心部の結節点が明瞭との仮説であるが、中心部それ自体が結節点という意味か。
A:都市の中心部に広場のような明瞭な結節点が存在するということを言いたい。
Q:リバブルシティの概念は財政面とどのように関わるのか。わが国では地方都市の自治体関係者の間で、財政の効率化や建設コスト抑制の方便としてコンパクトシティを唱えるケースもあるが。
A:リバブルシティの場合、財政面ではもっぱら雇用創出などの観点から評価される。指摘されたコンパクトシティの場合のような例はあまり聞かない。
樋口報告
Q:継続する郊外化とインナーサバーブにおける商業施設の陳腐化や閉鎖などの現象を見る限り、デンバーの郊外がリバブルな空間とは感じられない。リバブルという評価は、都市中心部に限ってのものか都市圏全体に対するものか。
A:どちらかといえば都市圏全体を指している。都心から郊外への中間部分にコンパクトシティ(スマートグロース)の考え方にもとづく公的開発が複数あり、その周辺環境が改善されつつある。
Q:Villa Italia Mall周辺でのMixed Useは平面的なものか立体的なものか。
A:両方ある。オフィス、店舗、住宅などが平面的に配置される場合もあるし、一階が店舗で二階が住居と立体的に混合した建物もある。Englewoodでは特別地区としてのゾーニングが施されており、混合的土地利用による整備が可能となっている。
千葉報告
Q:郊外での開発抑制という政策は、住宅だけでなく産業も含まれるのか。
A:新たなものは作らず、流通団地など既存の施設を活かすということで、いずれの場合でも現状を維持すると構想が基底にある。
Q:ミッドライフタワーの建設主体はだれか。また、間取りや価格はどうか。入居者に条件はあるのか。入居者の前住地はどこか。
A:建設主体は再開発組合だが、市の意向が強く反映している。主な間取りは3LDK(4,000万円台から)と2LDK(2,000万円台から)で、分譲後は早期に完売している。シニア対応型マンションとして売り出しているが、入居条件を高齢者に限定しているわけではない。入居者は市内からが圧倒的に多いと聞いている。
Q:マスタープランでコンパクトシティ化が謳われたようだが、その後の市町村合併などで状況が変化したことはないか。
A:浪岡町が合併対象だが、特段にそれによってコンパクトシティ計画が影響を受けたという話は聞いていない。ただし、多核化をめざすという方向性はあるが、既存のコンパクトシティ構想と並列した構想になるようである。
Q:郊外の戸建住宅団地では建替えがあるのか。
A:市では、中心市街地居住の子育て世帯と郊外居住の高齢者世帯とを入れ替えるような構想を練り始めつつある。
Q:アウガの例は、再開発ビルの保留床に青森市が自ら入居して救済したと考えてよいか。
A:1977年から始まった駅前の再開発事業の経緯をみた場合、そのように理解することもできると思われる。
山下報告
Q:なぜ開発主体の山万は大規模開発と短期売り抜けという戦略をとらず、長期にわたる成長管理を選択したのか。また、山万の本業(繊維業)との関わりはどの程度か。
A:低利融資を受けられたことなどの好条件があったようだ。本業は業界自体が頭打ちにあるし、あまり関係はないように見える。
Q:戸建リフォーム住宅の標準的価格や敷地の規模はどの程度か。
A:敷地規模は概ね180平米以上で、価格は3,000万円前後。新築だと4,500万円以上になる。土地の坪単価は、場所にもよるが50万円前後のようだ。土地・分譲住宅とも、周辺の住宅地より価格は2割程度高い。
Q:佐倉市の都市計画との関連性はあるのか。
A:山万が住民の要望などを汲み上げながら、主体的に計画している。計画の策定には、佐倉市からの指導や助言はなされているが、同市の総合計画の中で特別な扱いはない。
Q:開発には京成電鉄が関与しているのか。新交通システムの採算性は。
A:関与はほとんどない。収支はトントンである。
Q:住民との協働が出現した背景について教えてほしい。
A:山万のまちづくりコンセプトが住民の中に浸透し、NPO法人の設立や協働に結びついていったと思われる。

総合討論に先立つ各報告者からの相互コメント
伊藤:リバブル、コンパクト、サスティナブルの3つのシティ概念は、それぞれ樋口、千葉、山下各氏の報告の軸に対応していると解釈できよう。ただし、中心地の理想像として複合的な土地利用を想定・追求している点が3報告の共通項になろう。
樋口:日本の都市は今後、人口減少とともに自ずとコンパクト化していくと予想できるが、国全体でも都市圏でも人口増加の続くUSAでは、コンパクト化は限られた範囲でしか実現できないと思う。また、コンパクトシティと中心市街地活性化は区別する必要がある。
千葉:郊外宅地開発が立ち行かなくなっている環境のもと、民間デベロッパー主導によるまちなか居住を行政が後押ししているのが現状と理解することもできる。入居世代などが均一化する住宅開発については、郊外でも中心市街地マンションでも地域社会の持続可能性は低いのではないか。したがって、都市の持続性を考えた場合、空間的なコンパクトさよりも、居住者(属性)の多様性確保のほうが重要であるように思われる。
山下:リバブル、コンパクト、サスティナブルのコンセプトは相互に重複しており、国により重視するポイントに違いがあると思う。USAは自動車利用を前提、あるいは自明の条件とした上でリバブルさが評価されているようで、カナダ、オーストラリアや欧州とは少し性格が異なっている印象を受ける。

総合討論(C:会場からのコメントや意見)
Q:デッドモール(衰退あるいは衰退しつつあるモール)の発生は、周辺の地域やコミュニティが衰退した結果ではないのか。
A(樋口):たしかに、古いモールはしばしばインナーシティ的な場所に立地している。しかし、モール自体の老朽化や新たな巨大モールとの競合も大きな要因である。また資本の統合・再編で同一モール内や近隣に同じアンカー店舗が複数生じると、その一方が整理されるなど経営上の要因も見逃せない。最近ではMontgomery Wardの倒産(2001年)やMayのFederatedへの吸収合併(2005年)にともない、多くのデパートがMacy’sブランドに変更され、同一モール内に重複立地する店舗が撤退したこともインパクトが大きかった。
Q:デンバーのエスニシティ構成はどのようになっているのか。
A(樋口):全体的には白人比率が高い。黒人やヒスパニックは東~北東のセクターに目立ち、富裕層は南のセクターに多い。
Q:ユーカリが丘は周囲と明確な境界によって区画されている。その境界の内部で安全性や住みやすさが強調されれば、外部に対して排他的な性格を帯びるおそれはないか。優良住宅地は高所得層が購入を希望するため、周辺より地価が高くなる傾向がある。こうした境界の内と外における格差という側面を見ずに、内部のリバブルさだけを肯定的に強調してよいのか。
A(伊藤):リバブル、コンパクト、サスティナブルの3つのシティ概念は、相互に重なりあう部分も大きく,明確に峻別できるものではない。ただし,最近では、書籍タイトルにも表れているように、コンパクトよりリバブルが次第に強調されるようになった。それにつれて、日本では各々の区別が曖昧なまま使われる傾向にある。例えば、コンパクトがすなわちリバブルであるという、行政にとって都合の良い解釈も目につく。そのような混同は住民の立場に立てば感心できるものではない。コンパクトシティにおいては物理的な境界を意識するが、リバブルシティにおいては文化・社会的な地域差に関心を寄せる。研究者としては、これら概念の違いをふまえた議論が必要だということを主張すべきであろう。
A(樋口):USAでは最近流行のBig Box的な店舗ではなく、街路型店舗をもってリバブルと考える傾向があるようだ。ただ、ある階層の人びとにとってはライフスタイルセンター的なものよりウォルマートなどのBig Box的なディスカウントストアが好ましいと考えるのも事実だと思う。
A(千葉):開発した住宅地の個性化を図ったり付加価値を高めたりといった戦略は、企業の販売戦略の常道である。山万はユーカリが丘の付加価値を高めるのに成功しているが、他都市の不動産開発では同じ手法を採っていないことから考えて、必ずしも一貫したポリシーがあるように思えない。
A(山下):周辺に対する店舗や福祉・医療などのサービス施設を立地させてはいるが、決して地区の境界がバリアになっているわけではない。土地や住宅の価格が周辺で相対的に安ければ、そこを積極的に選択する人びともいるはずだし、また周辺でもユーカリが丘の街の美化や防犯などの取り組みは身近な参考例ともなりうるはずだ。
Q:境界は外側を排除するためのものか。
C(座長):スプロールに対しては境界を設けないといけない。アメリカでは民間開発はともかく、公共的な整備枠組みとしては内側に必ずアフォーダブルハウジングが含まれるのが通例であり、低所得者を含むソシアルミックスの思想はそこに含まれている。
C:たとえば千里ニュータウンでは、かつて境界が存在したが、周辺地域においてリバブルさの享受を狙った住宅開発が進行した。その後、企業の資産処分と連動して内側において更新(給与住宅から分譲マンションへの変化)が見られるようになり、周辺を含めた地域全体がリバブルになり、サスティナブルな兆候が出てきた。これをみると、境界のもつ意味は低下している。
A(山下):ユーカリが丘の地区内には、山万の開発以前から立地した旧集落が存在している。もちろん、この集落やユーカリが丘周辺には、山万の開発理念などは反映されないので、今後はそうした地区の住民との協調や協働も必要になってくるものと思われる。
C:議論を深めるには概念の定義が重要だ。コンパクトシティは物理的・客観的な基準でとらえやすいが、リバブルシティは主観的な評価による部分が大きい。アメリカでは白人の知識階級にとって住み易いところがリバブルと呼ばれている傾向はないか。ユーカリが丘でも住み易い人びととそうでない人びとがいるはずだ。
C(座長):各国・各地域や主体によって異なる評価基準や重点の置き方の違いがある。特にリバブルシティはこうした相違が大きく表面に現れる。共通するのは整備の方向性ではないか。その意味では全体の完成像をあえて描かない、コンパクトシティなどの方向での一連の整備を、どのように評価するのかも重要な論点となろう。また、議論の時間はなかったが、質問があったようにユーカリが丘でもデベロッパーと住民との共同によるNPOが動き出している。このあたりに関連して継続性などの点で、まちづくりの主体と住民参加のあり方に関する問題もあろうと思われる。
(座長:藤井 正、記録:香川貴志・豊田哲也、出席者:23名)

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2006.12.09 
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